城ケ島へ

12月23日(日)
 
今年の長距離の走り治めとして、三浦半島の先端「城ケ島」へ行ってきた。
ハーレーH氏の到着を待って、ゆっくり目の朝9時過ぎに出発。
曇り空で気温5℃。
最初のうちはなんとかなったが、しばらく走ると、結構寒さが身にしみてくる。グリップヒーターは強にセット♪
手があったかくなると体もスコ時温まる?気がする(^_^;)
 
三浦半島には、今年の3月に行ったが、城ケ島には行ってなかった。やっぱ城ケ島には行ってみないと。
 
と思っていたんだが、やっと今日行けることになった♪マァ、コレトイッテ、ナニガアルトイウコトモナイガ
 
 
 
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結構、バイクが来てますね。
 
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相方は、生しらす丼(945円)とあら汁(420円)
生しらす丼にもともと付いていた味噌汁はあら汁を注文した関係で105円減額してくれた。ありがとね♪
 
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私は、盛り込み定食1575円とあら汁(420円)
同じく105円減算。
おいしいが、ちと高い?
まぁ、観光地だしね(^_^;)
 
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風もないので海は、穏やか。雲もとれて晴れてきたね(^_^)v
 
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やっぱ、海はいいねぇ~。埼玉県は海無県なもんで、海には憧れちゃうのよね~(^_^)
 
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久里浜港にあるペリー記念館。
 
 
ちょっと調べてみると?
 
嘉永6年6月3日(陽暦1853年7月8日)、アメリカの使節ペリーが黒船(黒い塗装の軍艦)4隻を率いて江戸湾の入り口浦賀沖に現れました。
 ペリーは黒船に護衛させた測量艇を江戸湾深く侵入させて江戸城の老中たちを威嚇。久里浜において、浦賀奉行に修好通商を求めるフィルモア大統領親書を受け取らせ、再来を約して12日に退去しました。

 日本を去ったペリーは香港へ戻り、翌年1月16日(陽暦2月13日)、軍艦7隻を率いて再渡来しました。江戸湾内深く航行して幕府に圧力をかけるペリーに浦賀奉行所は浦賀沖に戻るよう要求しますが、ペリーは頑としてゆずらず、横浜で交渉がもたれることになりました。
 アメリカ大統領親書の内容、「石炭・食料の供給と難破民の救助」は認めるが、「通商」はあくまでも拒否という幕府の回答を、ペリーは受け入れました。これ以上の無理強いを避けようとしたのでしょう。条約内に領事派遣の項目を入れることで、再交渉の余地を残し、3月3日(陽暦3月31日)日米和親条約が調印されました。
 
歴史を動かした記念すべき場所ですね(^_^)
 
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久里浜港は、南国ムードで、いい雰囲気♪
 
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坂の上の雲NHKで放送していた2年前に、来た場所。
相方は来たことないというので、2回目の訪問。
 
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船首は、皇居を向いているのは、知られている事実か?
 
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甲板から望む横須賀新港。
16時までゆっくり見学しました。
 
 
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走行距離 333.6Km(総走行距離 25,961Km)
使用燃料 11.94ℓ
平均燃費 27.9Km/ℓ