小江戸川越♪
今日はいい天気でしたね♪
先週の土曜日ですが、F800STの12カ月点検に行く前に、ちょっと寄り道を♪
結構近いんですが、なかなか行く機会がなく・・近すぎていつでも行けると思っているからですかね?
小江戸川越(^.^)
まずは川越氷川神社です。
七五三での参拝客が多かったですね(^.^)
ここの駐車場にバイクを停めて散策してもいいのか、かかりの人に聞いたら、ダメだっていうんで、場所を移動。
川越市役所の対面に駐車場があるからと、そこに停めてくださいとのことで、そこに行ったら、バイクは出庫の際に反応しないから、駐車はできないとのこと(-_-;)
川越市役所の駐輪場に停めてくださいと言われ、そこに駐車。無料でした♪
バイクで行く場合は、ここに駐車をするのがいいかと♪
さて、小江戸を散策しましょう♪
まずは、川越まつり会館。
360年の歴史の重みを感じます。
この山車は三段になっていて、電線になどがあっても対応できるんだとか(^.^)
こちらは、建設中の山車。作成依頼者が作成途中で、お亡くなりになったそうです。いやぁ、りっぱなもんです(^.^)
ことらは、菓子屋横丁。今日は、アジア系の方たちが、大勢いらっしゃってました。ワタシ、ニホンゴシカワカリマセーン(-_-;)
子供の頃に行った駄菓子屋さんを思い出しましたわ(^.^)
定番の「時の鐘」
現在4代目だそうだ。明治26年に起きた川越大火直後に再建されたものらしい。 町の3分の1が焼失した中で、暮らしに欠かせない「時」を告げる時計台は、自らの店も再建していない川越の商人達によって、いち早く建て直されたんだそうだ。
お昼にも鐘が鳴るらしいが、聞き洩らしてしまったぞ(-_-;)
なんとも言えない、街並み♪
いつまでも、残っていてほしいですね(^.^)
80円で買った、醤油団子。私はこのタイプが一番好き♪
喜多院。
喜多院の庭。いい感じの庭園です♪
嘉永元年(1848)、時の藩主松平斉典が造営したもので、武家風の落ち着いたつくりが印象的な江戸時代17万石を誇った川越城唯一の遺構が本丸御殿である。
川越城は扇谷上杉持朝(おうぎがやつうえすぎもちとも)が古河公方足利成氏(こがくぼうあしかがしげうじ)に対抗する為、長禄元年(1457)に家臣の太田道真・道灌父子に命じて築城されたもの。その後寛永16年(1639)、徳川幕府の重鎮として知られる川越藩主松平信綱が、川越城の大規模な拡張・整備で、台地上先端に本丸・天神郭・北に二の丸・西に八幡郭・三の丸他の曲輪・本丸西南隅に三層の富士見櫓と称する。
川越城は扇谷上杉持朝(おうぎがやつうえすぎもちとも)が古河公方足利成氏(こがくぼうあしかがしげうじ)に対抗する為、長禄元年(1457)に家臣の太田道真・道灌父子に命じて築城されたもの。その後寛永16年(1639)、徳川幕府の重鎮として知られる川越藩主松平信綱が、川越城の大規模な拡張・整備で、台地上先端に本丸・天神郭・北に二の丸・西に八幡郭・三の丸他の曲輪・本丸西南隅に三層の富士見櫓と称する。
櫓を含む三つの櫓と十二の門よりなり、総坪数は堀と土塁を除いて四万六千坪にもなった。現在に残る川越城本丸御殿は、明治維新後の解体により嘉永元年(1848)に時の藩主松平斉典により再建されたものの一部であり、現存しているのは玄関・大広間と移築復元された家老詰所のみ。玄関に入ると廊下がぐるりと部屋を取り囲んでおり、いくつかある部屋の装飾は質素で装飾などは最低限に止められているが、部屋を仕切る扉に描かれた杉戸絵や車寄せの構えは豪壮でさすがに御殿と呼ぶにふさわしい造りである。
大広間にいまだに残る松の絵の絵板戸や、現存する家老詰所には家老の人形(写真上)などがあり、当時の家老たちのやりとりに思いを馳せるのも楽しい。
大広間にいまだに残る松の絵の絵板戸や、現存する家老詰所には家老の人形(写真上)などがあり、当時の家老たちのやりとりに思いを馳せるのも楽しい。
大改修も終わり、これからも、当時の面影を後世まで伝えてくれることでしょう(^.^)
十分堪能しました。
明日、明後日は川越祭りですよ~♪山車が見られますね~♪
小生は行けませんか(-_-;)ザンネン
観光が多かったので、あんまり走りませんでしたね(^.^)